「 梵 我 一 如 」の心で
私はそもそも政治に縁もゆかりもありませんでした。では、なぜ政治家になろうとしたのか!?よく聞かれる質問です。
中2のとき、アインシュタインの「相対性理論」に出会い、大いに感動しました。それ以来、「将来は物理学者になろう」と決めました。
そして、高3の頃には、こんなふうに感じていました。「宇宙の法則は『美しい』。しかし宇宙の一部であるにもかかわらず、人間だけが『美しくない』。人間は争ったり、悪いことをしたりして美しくない。けれども、人間も宇宙の一部であるから、いつかは必ず『美しく生きられるようになるはずだ』」と。そして、この思いが膨らんで「将来は物理学者になって、ノーベル賞をとって(影響力のある人になって)、『世界の平和』を訴えよう(人類が美しく生きられる世の中にしよう)」と真剣に考えていました。
ところが、勉強不足で大学受験が思うように行かず、希望の大学、希望の学科に入れませんでした。家庭の事情もあり、受かった大学に行くことにしました。それは物理学とは程遠い機械工学科でした。この時点で、物理学者もノーベル賞も世界の平和も、全ての夢と目的を失った思いでした。
夢と目的を失ったまま、大学4年間を過ごし、機械メーカーに就職しました。機械の開発設計という仕事は自分には合っていましたし、面白さもありました。しかし、就職して3年ぐらい経つと「本当に自分がやりたいことは何だろうか?」と考えるようになりました。何ヶ月も考え続けた結果、やはり自分の原点は、高校時代に抱いた「物理学者→ノーベル賞→世界平和」のあの思いだと確信しました。しかし、今から物理学者になるのはさすがに難しいと思いました。そこで、最終目的である『世界平和』は変えずに、「政治家→世界平和」で行こうと決めました。最終目的は変えずに、途中の手段・プロセスを変えて、「政治家として世界平和を訴えよう」と。
そこで、技術者のままでは世間知らずで力量もないので、自己研鑽のため経営コンサルタント会社に転職しました。ここでの5年間の営業経験は語り尽くせないほど厳しく苦しいものでしたが、これが今でも大いに役に立っています。また、この期間に政治塾に通うなど、政治の勉強もしました。
そして、4年に一度の統一地方選に合わせてコンサル会社を辞め、選挙の準備に入りました。そもそも私は政治には無縁でしたし、誰々の息子と言われるような家柄でもありません。地盤(支援者)、看板(政党や家柄)、カバン(資金)は皆無に等しく、まさにゼロからのスタートでした。しかし、思いさえあれば必ず政治家になれる、と信じていました。一歩一歩活動を進め、少しずつ仲間や支援者が増え、31歳で多治見市議会議員に当選できました。
県政報告会にて
山本勝敏 プロフィール
菫幼稚園、精華小学校、陶都中学校、多治見北高等学校
中学から高校までは物理学者を目指す
将来は「世界平和」を訴えようと夢見る
大学受験が思うように行かず夢と目的を失う
名古屋工業大学(機械工学科)
22歳 機械の開発設計技術者(CKD㈱)
本当にやりたいことを再度考える
25歳で政治家になろうと決意する
自己研鑚のため転職する
25歳 経営コンサルの営業マン(㈱ビジネスコンサルタント)
5年間の貴重な営業経験をする
政治塾に通うなど政治を勉強する
ゼロからのスタートで市議選に挑戦する
31歳 多治見市議会議員 【2期、8年間】
39歳 多治見市長選挙 落選 【政治浪人 4年間】
43歳 岐阜県議会議員 【4期、16年間】 現在
で
この話しを語っています。
実は今も、高3の頃のあの思い「宇宙の法則は美しい。人間だけが美しくない。しかし、いつか美しく生きられるようになるはずだ。」と思い続けています。そして、それは間違っていなかったと確信しています。「梵我一如」(ぼんがいちにょ)という古代インドの言葉を後に知りました。梵(宇宙を支配する原理)と我(個人を支配する原理)は同一である。この言葉からも、やはり人類はもっと幸せになれると思うのです。
だから今でも『世界平和』(=人類の幸せ)が私の最終目的です。地方の政治家がどうして世界平和なの?と笑われるかも知れません。これは、市議・県議と地方で働いて感じていることがあるのです。それは「地方から日本を変える」ことが出来ると感じるのです。これからも、地方を変え、日本を変え、世界を変える意気込みで政治に取組んで参ります。